2017年7月22日土曜日

三田用水のミッシング・リンク解消〔その1:目黒雅叙園〕

「ブラタモリ」〔=NHK〕が解明した、三田用水の2つのミッシング・リンク〔その1つ目〕

■タイムシフトのために…
「録画しといて後で見る」結果になった、
平成27年12月17日放映の、ブラタモリ「『目黒篇』~目黒は江戸のリゾート!?~」

 そう、べらぼうに忙しかったわけではなかったのですが、いわゆる「気がせく」というやつで、21日深夜の再放送を、翌晩になって早送りしながら見たのですが…

■それだけでも…
ラスト近くの目黒雅叙園の、かつて三田用水の水が流れていた人工の渓流痕の画像のインパクトは強烈で、ここだけは何度も見返して、ここ10数年抱えていた疑問が一気に氷解したのでした*

*これ、法政大の根崎教授の研究成果のようで、同教授、2010年放映のブラタモリ「鷹狩篇」に出演されたときには「あれっ?」で思う発言もあったのですが、その後書かれた論文では、しっかり修正されていて、ずっと、研究を続けておられることがわかった次第。

■その、目黒雅叙園…
いわゆる三田用水事件の際、1審の東京地裁や2審(控訴審)の東京高裁の判決で、組合の水利権は否定されたものの、用水の水路の土地の所有権を組合に認めたのを不服として、最高裁に国側が上告した、その不服の理由の中に、当時、目黒雅叙園が三田用水の水を引水していることに言及する部分があり、
  • 国が最高裁に提出した書面の中に書いていること
  • 全体の文脈の中で、雅叙園の引水は、国の主張にとって、むしろ不利な事情ともいえるのに、あえて書いていること
から、まず間違いはないだろう、とは判断していたものの、水を、どこにどう使っていたのかについては、それ以上には全く情報がなかったのです。
 
■そんな中で…
唯一見つけたのが、
http://masabou.blog.so-net.ne.jp/2008-06-06
の、雅叙園にお勤めのお父上が案内人となったツアーに参加されたご子息のリポートだったのですが、お身内がらみの話のせいでもあるのか、肝心のところがはっきりせず、わかったのは
「どこかの部屋の奥の窓から、三田用水の水が流れていた痕跡が見える」
ということ(ブラタモリで判明したところによれば、これは、その限りでは100パーセント正確でしたが)に止まっています

■Web上でときどき見かける…
絵葉書(後掲のとおり、今回原典を入手)をみても、どうやら
「敷地の北東にある本館と呼ばれていた建物の南に
 かつて池があって
 そこに滝が落ちていた」
というところまでは分かりましたが、
東京都立中央図書館にある、この
http://archive.library.metro.tokyo.jp/da/detail?qf=&q=%E9%9B%85%E5%8F%99%E5%9C%92&start=16&sort=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB_STRING+asc%2C+METADATA_ID+asc&dispStyle=&tilcod=0000000007-00004654&mode=result&category=
鳥瞰図を見ると、滝といっても庭園内に何か所もあるようですし、

敷地全体の平面図も見つかっていなかったので*、水路の位置などを推定しようがなかったのです。

*建物だけの平面図なら「スパーアート・ゴク― 1981年1月号」パルコ出版・刊p.8にあった。
 改修・改築されてしまっているし、前述の池は、そのはるか前に無くなっているようなので(末尾の地図参照)、

 今更見に行っても無駄。

■今回の…
「ブラタモリ」でわかったのは、雅叙園の先の大改築の折にも残された「100段階段」*の南に沿って傾斜地にいくつか座敷棟が設けられ、それらの南端の窓の直下に渓流が設えられていて、そこを三田用水の水が流れていたようなのです。

*「100段」だと、いわば究極あるいは完成してしまったことになり「後は朽ちて行くだけ」になるので、縁起を担いで、実際には99段らしい。「100」を、日本人が、いわば本能的に避けることは、「馬込99谷」とか「代々木99谷」などをはじめ、類例も多い。

■そこで…
「100段階段」沿いの座敷の写真を探してみたのですが、ほとんどが座敷の内側の写真ばかりだったのですが、1枚だけ見つかりました。


 「100段階段」沿いには、東端の最上部の「頂上の間」*から西に向かって合計7つの座敷**が並んでいるのですが、これは、一番低い西端にある「十畝荘〔じっぽそう〕」の写真彩色絵はがき。
 左端に渓流が写り込んでいます。
 下流で少し左に水路が曲がっているように見えますが、その先が本館(当時)から正面やや左に見える場所にあった滝につながっていたようです。

* ブラタモリに登場したのは、この部屋
**上から3,4室目を除き、各間が独立棟となっている
 なお、ここ
 http://chiakih.cocolog-nifty.com/ic/2006/01/post_af8c.html
 の上から21枚目に10年ほど前の渓流跡の写真がある。












なお、(やや不正確ながら)20世紀末の改築前の敷地の地図を示す



東京都港区立三田図書館・編
「近代沿革図集 別冊Ⅰ  安永・昭和対照図」
同館/昭和59年・刊 のうち「昭和図」中
 「駒場・祐天寺・碑文谷・渋谷・目黒・大崎(左下)」より一部引用
青線が推定される渓流の流路

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